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究極の愛

タイタニックという映画で女性の心情について、私の考えが周りの人達と違う件について。
あの有名な沈む船で恋をした身分違いの二人。最後の別れで二人が交わした約束。というか彼が望んだ道。
究極の状態で二人が共に助かる道は難しく、二人で果てる事が美学のような・・・。
でもそこで、彼女は彼の言葉を思い出し生きる事を選んだ。それがみんなには酷い女と受け止められている。メル友ともタイタニックの話になった時は意見が分かれた。
では、そこで助からずに黙って死ぬ事が愛だろうか?彼はそう望んではいなかったし、約束だと、念をおしていた。
だから生きようと必死で助かる方法を、そして彼が望んだように自由に生きた。彼のために。とても出来る事ではないと思う。そう思うことがほかのみんなの意見とは違っている。ほかの人たちは彼女が死んでしまった恋人を非情にも自分が生きるためだけに邪魔だといわんばかりに沈めた。と。私はそうは思わない。彼女ははじめ彼との約束よりも一緒に死ぬことを思って助けを求めなかった。
しかし、助けに来た人たちの声を聞いているうちに約束を思い出し、死ぬことをやめ生きる決心をした。それが彼の望みであり、礼儀であると思ったから。そんなに彼女のことを強く思ってくれている彼がまさに私の理想だ。理想が高すぎて新しい出会いに気付かずに過ごしているから、未だに彼氏ができないのかもしれない。出会い系サイトに登録して、理想の人が現れるのを待ってみようかな。しかし、彼の体を沈めない限り助かることはできない。その場から動けない。だから遺体を泣きながら沈め移動して笛を取り、笛を吹いた。どんな思いで吹いたか、さぞつらい思いをしただろうにそれを「酷い女だ」ということで片付けるものではないと私は思う。

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2011年5月19日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:日記

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